「なんか、この人に相談してもお金が増えなそう...」
あなたが資産運用の相談を受けた時に、お客さんからどんな印象を持たれるか。
運用に限らず住宅だって、保険だって相手にどういった印象を持たれるかってとても大事ですよね。
話の内容よりも、見た目の印象が大きく左右するというのは、「人は見た目が9割」という本がベストセラーになったように既に実証されていることです。
見た目というのは、外見については大前提ですが、もちろん話し方も大きく影響をしてきます。
なんでこんな話をするかというと、先日相談にお越しになったお客さんが他のFPさんにも最近会ったようで、その時の感想をお話されていました。
その話に同調して相手をどうこう言うスタイルは好きではないので、話を聞くことに終始していたわけですが、その中でとても重要なことがありました。
そのFPさんは、相談者から見た時にいわゆる身だしなみがダメみたいなことを言われており、話の内容は全然頭に入らなくて見た目の印象だけでもう次の話も聞きたくなくなったというような類の話をされていたのです。
この時に思ったのは、相談者が思っているFP像と、自分が思っているFP像を一致させることができれば全然違う結果になるのではと思ったことです。
相手の作るイメージ、自分が見せたいイメージ
例えば私は普段、上下スーツのスタイルはしませんし、高級な服も一切着ません。
紳士服量販店のスラックスで、なんとなく営業っぽくない感じの色を選び(黒は着ない)、夏場はユニクロのポロシャツです。
腕時計もしませんので、ギラギラ感はゼロです。
住宅とお金にやたら詳しい親戚に居たら便利な、にーちゃんみたいなイメージでやっているのですが、このスタイルだと相手に警戒されることはあまりないように思っています。というか、自分が着飾らなくていいので楽なだけです。
お客さんというよりも相談者、対等な関係でお互いに気軽に話ができるような感じでやっていきたいのでこういったスタイルでやっています。
世間的なFPのイメージはよく分かりませんが、私はFPというとパリッとしたスーツで決めて、いい腕時計をしている、清潔でクールで頭が良さそうというイメージを持っていました。
自分でも相談をしているとそういったFP像の方が次につながるだろうなという方もまあまあいらっしゃいます。
明らかにそういった時は、2回目の面談の時に敢えてスーツでチャレンジもしたりして見た目の使い分けをすることもあります。
たかが服装なのですが、人は見た目が9割ですから、スーツでパリッと決めていったほうがいいのか、ポロシャツでいったほうがいいのかでは結果は大きく異なると思います。
これは嫌らしい意味ではなく、相手が心地よく思うように自分を変幻自在に変化させる価値はあるのではないか?ということです。
あなたはどう思いますか?
クールとか知的とかそれはどういうことか?
FPという仕事と知性という言葉は非常に関係性が深いと考えます。
しかしそれは見た目ではどういうふうに表現すればよいでしょうか?
これは実は難しくありません。
動画コンテンツを作ったことがある人は分かると思うのですが、あなたはあなたが思っている以上に早口です。
言葉を早く話せば話すほど、知性は離れていきます。
一方で、ゆっくり丁寧に落ち着いて優しく話すことで、なんとなくクールな印象や知性を与えることができます。
YouTubeで倍速や低速再生があると思うのですが、あなたのいつものペースからx0.75~X0.85くらいで話すようなイメージを心掛けてください。
こうするだけで見た目(話し方)の印象は大きく異なり、相手もプレッシャーが弱まります。
同じトークでもセールスっぽさが薄れるはずです。
素の自分にスパイスを加える
キャラまで作りこめるのであれば、それはそれで面白いし成功している方もお見受けするのですが、いずれは無理が出てきてしまうように思います。
自分自身にストレスが溜まって、仕事を長く続けるのも難しいかもしれないですね。
なのでそこまでする必要はなく、素の自分のままで見た目だけをケースバイケースでコントロールしてみたらいかがでしょうか?という話です。
特に相手の持っているイメージに合わせることができれば、好印象となり次にまた会いたいと思ってくれる要素は上がります。
それは服装の使い分けでもいいし、声のトーンや話すスピードだけでも何通りも自分が作れます。
コンサルティングの内容がどんなに良くても、入り口の部分でお客さんはバッサバッサと見た目の印象でFPを切っていく。
私たちが何の相談やサービスを受けようとするときも、内容よりも相手の見た目でいろいろと決めつけていきますよね。
それと全く同じ。
相手に心地よく思ってもらえるかどうかは、センスというより思いやりです。
どうしてそのFPを選ばなかったのかというお客さんの声からいろいろと考えさせられたのでした。